梨の花の舞う中で

 今回のスプリングコンサートは、私にとって準備の段階から濃いものでした。
 まず、係についてです。
 スプリングコンサートの準備で私は飾り係でした。
 自分が飾り係だと知ったときから、
(よし。新春コンサートの時のようには絶対にならない。飾り係のみんなに心を添わせて良いものを作ろう)
 という気持ちでいました。
 準備は花びらが4つに分かれている、花紙の花を作ることから始まりました。
 その花は卒業式のときにも作ったのですが、作り方をあまり覚えていなくて、始めはみんなで思い出しながら作りました。
 1000個以上の花を作ると聞いたときは、
(時間がかかるだろうな)
 と思いましたが、決して憂鬱な気持ちではなく、むしろ、
(よし。絶対に作り終えるぞ)
 と気合いが入りました。
 目標時間を決めてその時間までに何個作る、とか5分間で何個作れるかをはかってみながらみんなで作っているとあっという間に効率よく作ることが出来ました。
 1つの花を1人で作るのではなく、流れ作業でみんなで作っていると、1つの花に何人もの人の手が加えられていて、みんなで作っているという感じがして嬉しかったです。
 でも、おしゃべりに夢中になってしまって、飾りの準備ではなく、おしゃべりがメインになってしまう子がいたりしたときもあって、
(集中してやりたいな)
 と少し残念な気持ちになったときもありますが、いつもそういう雰囲気ではなかったし、やるときはみんなで集中してやることが出来たので良かったと思います。

・花の暖簾

 
また、私は体調を悪くしていて外でする作業が出来ないとき、何も出来ない自分に落ち込むのではなく、
(外で作業が出来ない分、自分が出来ることを精一杯しよう。その間に少しでも飾りの準備が進められたら)
 と思いました。
 みんながマラソン練習だったり、外で作業していて飾りの準備が出来ないときや、食事のギリギリ前までなどは1人で花を作るときもありました。
 そのときは何分までに何個作る、というような目標ではなく、美しく丁寧に作る、という目標で作りました。
 みんなと作るのも楽しいですが、1人でやるのもとても集中してすることが出来て、自分で、
(綺麗に出来たな)
 と思えたときは嬉しくて、楽しかったです。
 花を作り終えると、花とアルミホイルを丸めて作った銀の玉をテグスに通して、暖簾を作りました。
 テグスに通す順序などは決まっていなくて、自分たちで花紙と銀の玉がバランス良く、綺麗に見えるように考えながら暖簾を作るのはとても楽しかったです。
 みんなの作る暖簾は1つとして同じ物はないし、自分で作る暖簾も花と銀の玉の順序を変えてみたりして、色々な暖簾が出来ました。
 出来上がった暖簾を試しに飾ってみると黄色・ピンク・オレンジ・白の花紙の花が春を感じさせ、可愛く揺れていて、銀の玉がキラキラ光っていて、スプリングコンサートがますます楽しみになりました。
 暖簾を作り終えると、風車を作る作業に取りかかりました。
 花や暖簾を作っている間に、なおみちゃんやかにちゃんやあいちゃんが割り箸に穴を開けたり風車の紙を作ってくれていて、後は組み立てるだけになっていました。
 どうしたらよく回るか、みんなで試行錯誤しながら作りました。
 作り方を統一して、作り直したりもしました。
 朝食前や夜の時間を使って、みんなで流れ作業で協力して、作り終えることが出来ました。

・過程を楽しめた

 
そんな中、スプリングコンサートの日は雨の予報になっていて会場をアリーナに変更するという話がありました。
 広い大きな体育館をどうやって上手く飾り付けをするか考えるのが難しかったし、何より室内では風がないために風車が回らないことに少し残念な気持ちがありました。
 でも、正直私は、
(アリーナで使えない飾りがあってもいいや)
 と思いました。
 飾りを作る過程でみんなと協力して出来たこと、自分自身精一杯やれたから満足でした。
 作る過程で精一杯やったし楽しんで作ることが出来たから悔いはありませんでした。
 でも、天気予報が晴れに変わって山小屋でやることになったときは、やっぱり嬉しかったです。
 スプリングコンサートの前夜にはみんなで飾り付けをしました。
 ベランダには色とりどりの暖簾が飾られ、ステージには花紙で作った花を飾った綺麗な模様の模造紙が貼られました。
 風車を物干し竿にくくり付けていく作業は、飾り係ではない子たちも一緒にやってくれて、係という枠に関係なくみんなで作り上げていくことが出来ました。
 飾り終わった山小屋とステージは、春を感じさせる温かい雰囲気に包まれました。
 本番では風がよく吹いていて、みんなで作った風車はクルクルと回っていて嬉しかったです。
 次に音楽演奏についてです。
 私は音楽練習のときに、いかに今まで自分が人任せで無責任だったかということ、そして臆病な自分に気付かされました。

・ドラムを叩いて

 
私は「ZOO」でドラムをやらせて貰っています。
 今回の音楽練習では、1人で叩くときが何回かありました。
 ある日の音楽練習のとき、りかちゃんがいなくて、「ZOO」のドラムは私とたかちゃんの2人でした。
 私は生ドラムが空いているのに、失敗するのが怖くてあまり音が目立たない電子ドラムに逃げました。
 たかちゃんに全体のリズムを任せ、全部の責任を負わせるような形になってしまいました。
 私はこのとき自分の無責任さ、臆病さに胸が苦しくなりました。
(私は今までずっと誰かに頼ってきたんだ。もっともっと責任を持たなきゃ)
(電子ドラムでも音はなっているんだ。普段からその事をちゃんと自覚して責任を持って叩かなくちゃ)
 と思いました。
 そして、その次の練習から生ドラムで叩くようにしました。
 凄く緊張して汗が一杯出てきて、そこでも改めて今まで人任せだったことを実感しました。
 今まで、電子ドラムであまり自分の音が聞こえていなかったけど、生ドラムでやらせてもらう機会があってリズムがとれない部分があったり、音の強弱が上手くできていないことも解りました。
 でもそのことが解った今、スプリングコンサートには間に合わなかったけど次の納涼祭までには責任を持って、音の強弱をつけリズムをとって叩けるようになる、という目標が出来ました。
 生ドラムでやってみて、自分の音を聴いてまだまだ練習するところが沢山あると思ったけど、叩いていて気持ちよかったです。
 本番ではりかちゃんの叩くドラムの音をしっかりと聴いて、ただそれに合わせるのではなく、りかちゃんのドラムの音に合わせながらも自分の中でもリズムを刻むようにして叩きました。

・心が温かくなった

 
本番のとき、りかちゃんが「ZOO」のドラムを叩く前に、
「頑張ろうね」
 と笑顔で声をかけてくれて嬉しかったです。
 また、他の曲でも演奏の前後に誰かと目が合うとお互い笑顔になって、嬉しくて温かい気持ちになりました。
 普段からなのはなを応援してくださる方々の顔を見て、
(私はこんなに多くの人達に支えられているんだ)
 と感じました。
 「島唄」のときにはベランダの所で河上さんや尾高さん、みよちゃんやさとこちゃんが笑顔で聴いてくださっているのが見えて、とても嬉しかったです。
 小バンドの演奏では涙が出てきました。
 特にお母さんとあきこさん、あすちゃんの歌声はいつにも増して力強さと迫力を感じ、声の質がいつもとは違うのがわかりました。
 うり太郎の寸劇も、新しくメンバーが加わって面白かったです。
 最後に親のことについて感じたことを書きます。
 今回初めて親が来ました。私は親に会う前、
(親にあったらどう思うんだろう? 気持ちがぶれてしまうのかな?)
 と少しドキドキしていました。
 また、マラソン練習のときに苦しくて帰りたいと思うことが正直何回かあったので、
(帰りたいって思ってしまうのかな)
 という不安な気持ちもありました。
 スプリングコンサート当日、9時30分になってお客さんが坂を上がってきました。
 その中に私の母もいました。
 母と一緒に祖父と祖母がいるのが見えて私はすごく嫌な気持ちになりました。
 3人は坂を上がってくると私の顔を見て笑いかけました。
 私は3人の顔を見ないようにしました。全く嬉しくなくて、恥ずかしい気持ちで一杯でした。
 スプリングコンサートが始まって、最初の合唱でハナミズキを歌ったとき、ずっと3人の視線を感じて涙が溢れてきました。
 母が携帯のカメラで私のことを撮っているのも解りました。
(私を見るんじゃなくて、みんなのことを見てよ。全体を見てよ)
 と思って母の行動に悲しくなりました。

・親と会って

 
演奏中もずっと私にカメラを向けていました。
 私は決して3人と目を合わせることはしませんでした。客席の後ろにいる、お父さん、お母さん、そしていつもなのはなを応援してくださる方々を見ていました。
 3人の視線を嫌というほど感じる中、私は、
(私は依存しない。自立するんだ。自分の足で立ってるんだ)
 と3人に訴えるような気持ちでいました。
 休憩になって山小屋にいると、まちちゃんが、
「お母さんが呼んでらっしゃるよ」
 と教えてくれました。
 兄弟が元気かどうか色々聞きたいという気持ちと、話すのが憂鬱な気持ちがありました。
 山小屋を出て行くと、私の姿を見た途端、3人は私の名前を呼んで笑顔で手を振りました。
 近寄ると私の頭をなでたり、肩を抱きかかえようとしたりしてベタベタと私に触りました。
 私は3歳児のように扱われました。
 というよりも、犬や猫のように扱われたと言ったほうが正しいです。
(私は今までこの行動を愛情だと思っていたんだな)
 と思って、私のことを犬や
猫のように可愛がる母が、幼

い子供のように思えました。
 母は小さくて弱くて幼かったです。そんな母を見て、
(こんな人だったっけ? 私は今までこんな人に頼ってきてたんだ。自立していない私がこの人に頼って生きていったら共倒れするだろうな)
 と思いました。
 頭をなでたり頬を触ったりカメラで写真を撮ったりはするのに、私に対しての質問は、体はもう大丈夫かということと、何か送ってほしいものがあるかどうかを聞いたくらいでした。
 その他の会話は一方的に私が質問するばかりでした。
 また、私の質問にちゃんと答えてくれるのは兄弟のことくらいで、それ以外の質問にはちゃんと答えてくれませんでした。私が、
「ここはどう?」
 と聞くと、
「アリーナになったっていう連絡がきたとき、残念な気持ちになったけど、山小屋が見れて嬉しい」
 という答えが返ってきました。私は一緒に暮らしているみんなを見て、演奏やダンス、劇を見てどう感じたかが聞きたかったのに話がかみ合っていないように思いました。
「ステージも飾りつけもこの階段も、全部みんなが作ったんだよ。凄いでしょ」
 と言うと、
「うん。凄いね」
 の1言で、
(それだけ?)
 という思いでした。話をすればするほど母と私の間にすれ違いや、目に見えない壁を感じました。
 スプリングコンサートが終わった今、私は母に理解されなくても別にいいと思っています。理解されたいとも思っていません。
 なのはなのお父さんとお母さんが理解してくれるから、なのはなのみんながいるから寂しくありません。
 でも母のことは嫌いじゃないです。好きです。
 母にも過去に苦しいことがあったんだろうなって思うと憎む気持ちとかはありません。母は母で頑張って生きていってもらいたいなって思います。