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| スプリングコンサートを終えて スプリングコンサートが終わりました。 なんだか、マラソンの次の日ということもあったせいか、その日の夜は、 (今日、スプリングコンサートやったんだっけ) なんて思ってしまうほど、あっという間の出来事だったと思います。 私は今回のコンサートで、反省点ばかりです。 今回の最大の反省点は、「自分が参加しているようで参加していなかった」ということです。 フルマラソンを走ったときと似た感覚です。 ここまでやったとか、やりきったとか、そういう充実感や達成感が自分にまるでありません。 何をしていたんだろうと思います。 感覚が鈍っていて、こんな空虚感に自分が満ちているということにすら、今まで気がつきませんでした。 その原因を考えてみます。 ・小バンドに入って 今回のコンサートは私にとって「小バンド」でのギターとして、デビューの意味がありました。 少し小バンドについて書いていこうと思います。 なのはなに来る前に、大学で私がアコースティックのギターをやっていたということで、私は小バンドに入れてもらいました。 アセスメント見学の時から、私はなのはなの皆が作り上げる音楽に惚れ込んでいました。 なのはなの音楽を聴いているとき、自分が目指す音楽はこういうものだったんだ、と自然と涙が出てきたことを思い出します。 私は、色々なアーティストの音楽や、上手だといわれる人の歌や演奏を聴いてきましたが、こんなに心を揺さぶられ、こんなにも感動したことはありませんでした。 私は、なのはなの音楽、そして「小バンド」に入れてもらえて本当に嬉しかったのです。 練習は、毎日1時間、20時から21時の間。 まだなのはなに来たばかりで、ここでの生活リズムをつくれていなかった私は、その時間をもてあますことがなかったことも、嬉しかったことです。 ・初めての経験 皆での練習は、初めから出来る前提でスタートしました。 バンド形式の、エレキギターとは勝手が違いました。 私はアコースティックギターでの弾き語りをしていたので、今まで自分の好きなように演奏して、自分が好きなときに弾いて、まさに自己満足の世界でしかやってきていません。 コードは押さえられるし、ストロークは出来るので、演奏には全く問題が無いのですが、誰かと気持ちを添わせて弾くということが出来なかったのです。お父さんに、 「なるの弾き方は問題あるな」 と言われた時、正直、ショックでした。 そんなに自分が出来るほうだとか、上手くやれるとか思ってはいませんでしたが、自分の弾き方に問題があるとは思っていなかったのです。 確かに、私の弾き方は、周りの人の音を気にしない自分勝手な音でした。 その時、私は自分が脇役であるべきことに気がつきました。 自分が周りより飛び出してもいけない、だからといって引っ込みすぎてはいる意味が無い。 あくまで主体はボーカルであって、私はそれを引き立てることが仕事なんだと、その時に解ったのです。 それは私にとっては凄く難しいことでした。 少しでも弦に触れれば、音が出てしまうエレキギターは物凄くその人の感情が音に現れます。 ここは引っ込むべきだと思えば、音は小さくなるし、目立つべきだと思えば、激しい騒がしい音となります。 私はどうしたらいいのか解らなくなってしまいました。 今思えば、色々なことがそこからずっとよく解っていないのだと思います。 そして問題の「参加しているようで参加していない」という感じは、この小バンドにおける自分の態度から起こるものだと思いました。 私はあいちゃんとツインギターで演奏しているのですが、どこまでもあいちゃんに頼ってしまったのです。 ・人任せにしてしまった あいちゃんの弾き方をました。 表現をまねました。 あいちゃんの考えていることを、そのまま自分の考えにしました。 「ここはボーカルを引き立てるようにしようか」 とあいちゃんが言えば、私はその通りだと思いました。 「この部分は、ジャラーンと音を響かせようか」 と言われれば、それが1番いい気がしてきました。 私は自分で考えることをしなかったのです。 言われる通りにしたのです。 自分に意見がなかったのではありません。 私は多分、面倒くさかったのです。 その最たるものが「BORDERLINE」です。 お父さんは初めてこの曲を演奏したときに、ギターの弾き方の改善をするように言いました。 私は「ギター」パートであるにもかかわらず、自分に全く関係ないような心持ちでこの話を受け止めていました。 (まぁどうにかなるだろ) という気持ちでした。 今思えば、とてつもなく無責任で、いいかげんな気持ちです。 その時にそれに気が付かなかったのが問題でした。私はそのまま、中途半端なまま来てしまったのです。 そうお父さんに言われた次の日の練習で、あいちゃんはちゃんと弾き方を考えてきました。 それが結果的に、この曲をとてもよいものにして、ギターの問題は解決されました。 繰り返すようですが、私は全く自分のしたことに気が付かなかったのです。 まるで人任せにしたことを、ちゃっかり、 (あぁ問題が解決した。よかった) なんて思ってしまったのです。 私はずっと小バンドの練習に立ち会っていたけれど、「参加」していた気がしません。 それは自分で考えることを放棄してしまったからだと思います。 自分も一緒になって、苦しんだり、悩んだりしなかったからです。 だから、一緒に作り上げた気がしないのです。 ・自分に気付けた これについては、なのはなに来てからまだ間もないということを言い訳には出来ません。 多少考える力は劣っていても、全く出来ないと言うことではなかったはずです。 私の気持ちに問題があります。 「人任せ」という気持ちがこの結果を招いたんだと思います。 ・「過程が大切」 今、スプリングコンサートを終えて、私には何の感情も生まれませんでした。 土木で作り上げたステージも、自分が貢献できたと言えるものは何もありません。 楽器演奏係では、ミキサー関係の配線を担当したのですが、ちゃんとものになるほど理解出来ていません。 コード配線をするときに、あまりに自分が何も出来なくて、いたたまれなくなって、その場にいられない気がしました。 それなのに、何も解らない私に、ちょっとでも仕事を回してくれようとする、さきちゃんやれいなちゃんに何だか申し訳なくなっていました。 何かに「参加」するには、その場にいるだけではいけないことが解りました。 ちゃんと自分で何かを考え、その場をいかに素敵な空間にするか。 どうやったら見てくださる人たちに、いい気持ちで演奏を聴いてもらえるか。どうすれば自分達が満足できるのか。 どんどん自ら積極的に考えて行かなくてはいけないのだと思います。 人任せにしていたら、どんなに楽か解りませんが、どれほどつまらないかも解りません。 何かを作り上げることは、きっと手間がかかるものだったのです。 私はそのプロセスをないがしろにしてしまいました。 お父さんはいつも「過程が大切」と教えてくれていました。 1番大切なことを私は見失っていたのです。 今回のスプリングコンサートを終えて、その言葉の意味にやっと少しだけ近づけた気がします。 まだ完全に「解った」とは今の私にはとても言えません。 これから色々な行事が続くけれど、次は今回のような気持ちにならないように、積極的に自分から行動を起こしたいと思います。 もうこんな空虚感は懲り懲りです。 受動的ではなく、自ら考え動く。 これが今回のコンサートが私に教えてくれた、最大の教訓です。 |
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