みんなと心を1つに


お母さんからスプリングコンサートの実行委員のメンバーを聞いた時、すごく悩みました。
 これまでの生活の中で、臆病で無責任な自分の行動ばかりが目立ち、自分は治れないんじゃないか、なのはなの子にはなれないんじゃないか、と気持ちを落としてしまいました。
 弱い自分と向き合うのが嫌で、逃げ出してしまいたい気持ちを堪えるのに必死でした。
 実行委員をやっても、無責任になるだけだと思い、やるのをためらいました。
 いつも誰かに頼っているから、責任から逃げていくから、何をやっても自分の自信に繋がらない、ということばかりでした。
 自分の弱い所が見えるのは怖かったけど、失敗を怖がって、自分を隠してばかりいてはいつまでたっても変われない。
 たくさん怒られて、何が正しくて何が悪いのか、きちんと自分のこととして受け止めるためにも、このままのメンバーで実行委員をやらせてもらおうと思いました。
 最初にお父さんとお母さんの部屋に実行委員3人で入った時、
「3人とも固いからなぁ~。少しでも柔らかくなるように、変われるきっかけになればいいなと思って」
 とお母さんに言ってもらいまいました。
(よし。こうでなければならない、という固い考えを捨てて、柔軟になるんだ!)
 そう思ました。
 しかし、私はそう思ったそばから、
「準備期間も短いし、ステージは新春コンサートと同じだけれど、飾りや看板はどれくらいの質でやるとみんなに伝えればいいですか?」
 とすごく義務的な、固いことを聞いてしまいました。
 私の、
(これくらいやれば、こんなもんでいいだろう)
 という気持ちがそのまま言葉に表れていました。
 お母さんが、
「あゆみらしいね」
 と少し呆れたように笑っているのを見て、自分の考え方をとっても恥ずかしく思いました。
 

・ドラマを作る

 納涼祭とも新春コンサートとも違う新しい目標設定をして、みんなのやる気を高めること。
 本番までの過程と、コンサート当日の2つのドラマを作り、各係がトータルとして上手く動けるように盛り立てること。 
 お父さんとお母さんに教えてもらったことを意識しながら、まずはテーマと係分担を決めました。
 しかし、ここでも、
(テーマはこんなもの)
 という自分の固定観念から、準備までの期間やみんなのモチベーションをいかに高めるかを考えられていない、抽象的なテーマばかりを考えてしまいました。
 そうかと思うと、ステージ作りに加勢してもらいたい、なのはな建築の締め切りを曖昧にしていたりしました。
 柔軟になる部分とケジメをつける部分がことごとく間違っていて、そういった自分のアンバランスさを、スプリングコンサートを通して少しでも正しくしたいと思いました。
(人に頼って責任逃れをしたり、乗っかってばかりいてはいけない。自分が引っ張る側になるんだ)
 という気持ちと、自分が治ることを信じられない、苦しさに逃げる気持ちが行った来たりしていて、自分の精一杯を出し切らない、煮え切らない準備期間が続きました。
 納涼祭や新春コンサートでの経験や反省をふまえて、どうにかやることをこなしているといった状態でした。

・依存の気持ち

 気持ちが切り替わったのは、お母さんと話して、作文を書いたことでした。
 なのはなに来て早いうちから、私は彼に対しての依存が強いだけで、両親にはそんなにこだわっていないと思っていました。
 大きな問題も起こさないし、私は治りが早いと自惚れていまいした。
 しかし、新春コンサートのしおりちゃんの感想文を聞かせてもらって、自分が親に対して考えないようにしていただけで、依存する気持ちときちんと向き合わずにいたことがわかりました。
(なのはなに来て1年が経つというのに、親への依存を捨てきれない自分は治れないかもしれない。お母さんがよく言われるように、摂食障害は食べるとか吐くとかが問題じゃないんだ。母との依存を断ち切らない限り、私は治れない)
 と思いました。
 捨てきれない自分と向き合わず、治ることから逃げようとして、私は気持ちをどんどん落としていたのです。
 お母さんと話した時に、母親が、
「卒業したらいつでも帰っておいで」
 といったニュアンスのことを言っていると聞いた時、呆れてしまいました。
 ずっと見ないようにして、うちの母親は大丈夫かもしれないと思っていた、自分の気持ちがバカらしくなりました。私と母も立派に依存し合っていたのです。
 それがハッキリとわかりました。
 母親に対しての怒りと、そんな母親に引っ張られている自分に対する悔しさで涙が出てきました。
 翌日から作文を書き始めました。
「父への手紙、母への手紙」を書くうちに、自分が両親のどんな価値観や態度に苦しんできたのかがハッキリとしていきました。
 あんな両親とはもう一緒に生きてはいけない。
 近付いたら、またすぐに覆い被さってきて、苦しくなります。
 
・私の帰る場所

 私は、帰る場所は千葉の実家だと、心のどこかで、思っていました。それこそ依存した気持ちの表れでした。
 私は今、帰る場所はなのはなファミリーだと胸を張って言えます。
 私の実家はなのはなファミリーです。
 私の家族はお父さんとお母さん、なのはなのみんなです。
 お父さんとお母さんとみんな、そしてこれから出会うまだ見ぬ誰かがいるから、私は精一杯生きていけるのです。
 気持ちが切り替わってからは、スタートが遅すぎるけれど、コンサートへ向けての気持ちも高まっていきました。 ステージが完成した日の土木のミーティングも、私にとって大きなものでした。
 私はスプリングコンサートの準備や、作文を書く時間をもらっていたので、ステージ作りには初日のパイプ運びと組み立てにしか参加できませんでした。
 しかも、ちょうどステージが完成した日に、コンサート当日の天気が悪いことがわかり、会場が変わるかもしれないということになりました。
 しかし、土木のみんなは、
「当日にステージを使えないことは少し残念だけど、みんなでステージを作れたことに意味がある。ステージが使えても使えなくても、もうどっちでもいい」
 と言ってくれました。
 ミーティングで作業に出たみんなの達成感や思いを聞けたことで、参加できなかった私も、同じ気持ちを共有することができました。
 
・自分の心と向き合う

 
心は自分の内側にあるのではなくて、誰かとの間にあるのだと感じました。
 私は自分が全くわからなくて怖かったけど、それは自分の殻に閉じこもり、誰のことも映し鏡にしようとしなかったからなのだと思いました。
 私にはたくさんの家族がいて、自分を映す鏡がたくさんあるのに、見ようとせず、心を閉ざしていたら、何もわからないままです。
 土木の作業やミーティングは、自分と向き合えるチャンスだと思いました。
 そして、みんながいてくれることがありがたくて、みんなのことを改めて好きになりました。
 だから、どこでやることになったとしても、大好きなみんなと、スプリングコンサートを良いものにしたいと思いました。
 天気予報は固い私を柔軟にするために、神様が与えてくれたチャンスなのかもしれないと思いました。
 やはり私は臨機応変に考えること、動くことが苦手です。
 アリーナでやることが決まったとき、楽器の移動や飾りのことを考えて、頭がパンクしそうになりました。
 それでもみんなと準備してきたものを、良い形で表現したいという気持ちがあったから、当日の動きや段取りを考えるのは楽しかったです。
 マラソン大会の日の朝。翌日の天気が持つかもしれないと聞き、加茂郷へ向かう車の中では、フルマラソンのことよりも、コンサートのことで頭がいっぱいでした。(そのおかげで、フルマラソンに対して不安の先取りや過剰な緊張をせずに済みました)
 フルマラソンは、自分が思っていた以上に楽しく、気持ちよく走ることができました。
 走った後、身体の痛さもあったけれど、充実した気持ちの方が勝っていて、身体の痛さも楽しめました。
 フルマラソンが終わり、加茂郷を後にして車に乗り込むと、頭はすぐにスプリングコンサートに切り替わりました。
(山小屋でスプリングコンサートができたら、飾りの風車も回るし、ステージも使える! 当日の朝だけでは、飾りつけも楽器の搬出、音出しも確実に間に合わない。やれるなら今夜のうちに準備したい。だけど、フルマラソンが終わった後で、みんな疲れているだろうし、来たばかりの子の気持ちもきつくなってしまうだろうか……)
 考えることはたくさんありました。夜の準備の段取りや、当日の朝のみんなの振り分け、保護者の方への予定変更の連絡……。
 私は一人でパニックになっていました。
 夕食準備をしているリビングで、行ったり来たりあたふたしている私を見て、亜希子
さんが、
「みんながいたら大丈夫だから」
 と言ってくれました。
 その一言で、自分の慌てぶりにやっと気付くことができました。
 
・みんなと気持ち1つに

 
そして、山小屋でスプリングコンサートを行うことが決定し、夜八時からの準備が始まりました。
 この準備の時間がとても楽しかったです。
 みんな不満ひとつこぼさず、重たい楽器の運び出しや、飾り付け、看板の準備をしていました。
 身体の痛みも吹き飛びました。
 スピーカーを抱えた時、フルマラソンに向けてやってきた筋トレの成果を感じました。
 今までより軽く持ち上げられるようになっていました。
 車のライトと照明に照らされたステージに、どんどん楽器が並びました。
 山小屋前が飾り付けで変わっていきました。
 スプリングコンサートに向かって、みんなと1つになっているのを感じました。
 身体は疲れているはずなのに、みんなの気持ちが1つになっているようでした。
 みんなでいい雰囲気を作っていると感じました。
 私は楽器の搬出をはじめ、みんなの前でリーダーシップを取るのが苦手でした。
 しかし、フルマラソンを走り終えた達成感と自信から、限られた時間の中で、みんなが一番動きやすいようにしたいと思ったら、前に出ることも怖くなくなりました。
 いつものことながら、音出しには時間がかかりましたが、楽器搬出や配線はとてもスムーズに進みました。
 最終の音出し確認が終わった時には、12時を回っていました。
 寒いのも、眠いのも、身体が少し痛いのも、充実した気持ちに繋がりました。
 前日に楽器出しや飾り付けなどの準備ができていましたが、当日の朝はとても緊張しました。
 私がなのはなで経験してきたコンサートで、リハーサルなしの本番は初めてだったからです。
 いくら全体の流れや動き方、手持ちの楽器の置き場所などを考えていても、実際に動いてみると、色々と不都合が生じて、変更すべき箇所が見つかります。
 全体で音を出すと、外音用のスピーカーの音が思ったように出なかったり、ドラムのマイクが音を拾いすぎて、バランスが悪かったりしました。
 
・自信に繋げる

 
ギリギリまで全体での音出しのリハーサルをし、予定より十分遅れでコンサートが始まりました。
 コンサート中、天気が味方してくれました。梨の花びらが舞い、飾りの風車が色鮮やかに回っている光景は一生忘れません。
 合唱、全体演奏と、徐々に盛り上がっていきました。
 ステージは同じでも、管楽器が増えたり、ケチャックが新たに加わったり、全体演奏が進化しているのを感じました。私自身、気持ちよく歌えました。(母親の行動が見えて、少しイライラはしてしまったけれど)
 歌う最中、母親の顔を見ても涙が出ることはありませんでした。
 歌っている曲は違ったけれど、気持ちは「育つ雑草」だったからです。
 休憩後、最初はトラブルもあったけれど、ダンスもかっこいいし、うり太郎も新メンバーが加わって、パワーアップしているのを感じました。
 母親は途中で帰ることになっていたけれど、少しでも小バンドの演奏を聴いてもらいたいと思いました。
 絶対に驚いたと思います。
 私の家族はこんなにすごいんだと、誇らしい気持ちでいっぱいになりました。
 コンサート後、私は自分の準備期間中の無責任さや、練習不足で本番中の司会がうまくいかなかったこと、保護者の方をアリーナに送る段取りの悪さばかりに目がいき、素直にコンサートの成功を受け止められませんでした。
 後日のミーティングを聞いて、それが自分にこだわっていることだと教えてもらい、コンサートの成功を素直に受け止め直すことができて、とてもすっきりしました。
 反省点はたくさんあるけれど、スプリングコンサートの成功を素直に喜んで、自分の自信に繋げます。
 そして、次はもっと素直に感じて、表現することを恐れずに、トライ&エラーを繰り返して、自分を成長させていきます。