りか② 
  
 
●辛かったこと・反省点
 自分の気持ちがまだ揺らぎやすく、安定していない事を感じたのは、3日目の班別自主研修で、渋谷の109という、服のブランドのお店が沢山入っているビルで買い物をした時です。
 行く前は、
(買うとしても、そんなに何着も買わないで、必要最小限にして、小さいアクセサリーを買う位にしよう)
 と、決めていたのに、結局、お父さんとお母さんにもらったお金のほとんどを使って、高めの服を4着を買ってしまいました。
 どうして緩んで、流されてしまったのだろう、と考えると、自分の未熟さが出てしまったからだと思います。
 私は、お店に入って、友達と服を見ているうちに、
(こんな高くてきれいな服を着て着飾ることは、なのはなファミリーで生活させてもらっている私には必要ない。外で遊ぶという事もほとんどないだろう)
 という気持ちが、だんだん緩んできました。
 明るくきらきらした照明、色とりどりの、可愛い服、格好良い服、スタイルの良い、きれいにメイクをした「カリスマ」店員さんを見ていると、変に気持ちが上がってきました。
 冷静に判断する事を忘れ、自分の欲が出てきました。
(私も、あんなきれいな服を着たいなぁ。きらきらした気持ちになってみたい。少し羽目を外しても良いかもしれない)
 と思っていました。危険な気持ちだと思います。
 もう少し間違えたら、欲だけが先走って、お金があれば際限なく使ってしまう様な、買い物依存症の行動を取りかねません。
 自分が、なのはなファミリーの1員として在籍していて、お父さんとお母さんの子供で、皆の家族の1人で、まだまだ発展途上である自覚が薄かったと思います。 
 3日目になると、ある程度班の子達といられる事に慣れてしまい、自分が放っておかれる事を辛く思う様になっていました。
 情けなく思います。
 自分が輪から外れてしまう事がなんだか恥ずかしくて、幼い心で、
(自分に構って欲しい)
 という気持ちがどこかにありました。それで、弱い私は周りの子に合わせる様に、深く考えず、服をどんどん買ってしまい、それが少し怖い感覚もありました。

 帰ってきて、お母さんに、
「普通だったら、自分のものを買うとしても、一つ位だよ。もらったお金の半分はそっと残して、持って帰ってくるものだよ」
 と、教えてもらって、自分に恥ずかしくなったけれど、とても嬉しかったです。
(その言葉をきちんと受け止めて、根っこはなのはなの気持ちで、自分を良い方向にコントロールしていきたい)
 と思いました。
 お父さんは、お金にも、ものにも執着していないと教えてくれました。時と場合によって、沢山お金を使って良い場面もあります。そこで、中身も重要なのだと感じました。
 例えば、留学する時に、300~400万円使うとしても、自分の進路実現の為の、外せないプロセスだから、大丈夫なのだと理解しました。
 費用対効果で、大きな効力を発揮するものには、それなりのお金をかけ、そうでないものには、中古で間に合わせる事もある、という事も改めて心に留めました。

 お金は、沢山あるようでも、考えなしに使ってしまえば、すぐに無くなってしまいます。
 お父さんの経験を聞かせてもらった事も、とても勉強になりました。お父さんが20代の頃、ジャーナリストとして動いていた時に、例えば会社の社長さんに取材をする時には、必ずきちんとした、それなりの値段のするスーツやブレザーを着て、きちんとした靴を履いてのぞんでいたという事です。
 そんな場面で、安い服を着ていっても、まだ若い時だから、
(中身だけじゃなくて、格好もそんなものなのか)
 と、思われてしまうと言っていました。
「服装から自分を作っていく」という言葉が印象に残りました。
「今は、そんなに気を張らなくていい時は、安い服も着られるよ」
 とも教えてもらいました。
 また土建屋さんは、安い車に乗っていたら、大きな予算の仕事を安心して任せてもらえないかもしれない、という事で、良い車を買う事もある、ということも教わりました。

 辛い気持ちは、自分が評価を少し気にしてしまった事で増長されてしまったと思います。「自分が良く思われていない」という前提で、班内では、
(皆の邪魔をしないようにしよう。自分のせいで、他の皆が楽しめなかったら嫌だ。なれなれしく、なりすぎないようにしよう)
 と思って過ごしていました。ちょっとしたヒソヒソ話のほとんどが、自分のことだろうという程に思っていました。皆、もし私の事が嫌だとしても、そんなに四六時中私の事を気にしているわけがない、と思って吹っ切ろうとしましたが、本当には、気持ちを強く保っていられませんでした。

 班の中の1人の子は、たぶん、仲の良いお互いに良く知った子とは楽に話せるけれど、慣れていない子といると、気が張ってしまうというタイプの様に感じました。
 私と、バスで隣の席になると、あまり楽しめなくて、そのことでイライラしてしまったみたいで、最終日には、避けられる様になってしまいました。
 最終日の、国会議事堂では、2列で見学していたのだけれど、班の人数は7人で、1人余ってしまうため、自然に私の横には誰も並んでいませんでした。
 私は、2人1組でくむような時は、自ら1人になる様にしていましたが、その時は、周りに、人が沢山いて、周りの視線が痛く感じました。
 本当は一人でいることが恥ずかしい事ではないけれど、その時は、表面的には孤独だと感じ、見学に上手く集中できなかった事が残念で、情けないです。
 でも、お父さんやお母さん、なのはなの皆の事を思い浮かべ、
(私は1人じゃない。仲間がなのはなに沢山いる。大丈夫だ)
 と言い聞かせ、自分を保とうとしました。皆の存在があったから、
(消えてしまいたい)
 と、ひどく落ち込む事がなく、おおむね平気な顔をしていられました。

 3泊4日を、じっと堪え忍ぶ事もあったし、自分の未熟さをさらけ出した事もありました。
 でも、学校の皆とほぼ一日中過ごす事で、より身近に感じられ、もっと皆の事を解りたいという気持ちにもなる事ができたと思います。

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