るりちゃん
思えば、初めてなのはなファミリーに来た時、
(私に合っているんだろうか、合っていないんだろうか)
と考える前に、瞬間的に深い安心感を得たような気がします。
お父さんお母さんを一目見て、みんなの雰囲気に触れて、図々しくも心が居座ってしまったように思います。
それは直感的なもので、誰に何を言われたとか、どうされたとかいうことでは無かったのだと思います。
ここに来てから「卒業」という言葉を聞くたびに複雑な気持ちになりました。
「卒業」は目標であって希望です。ずっと家族として繋がっていることには変わりありません。 卒業することは、摂食障害が治って外でもやっていける、とお父さんお母さんに背中を押してもらえることです。
それなのに、素直に卒業に向かって頑張ろうという気持ちにはなれない自分がいました。
例えが悪いのですが、入所してすぐ卒業のことを考えるのは、入院してすぐに退院を目標にするのと似ている気持ちでした。
誰かに認められたいとかいいポジションを得たいとか、無意識でもそういう気持ちを持つのは嫌でした。
頑張って良い成績を残して卒業してさようなら、という繰り返しは何の意味もなく空しさが募るだけです。
ずっと私にとっては卒業=寂しさでした(なのはなではそういうことは絶対にないけれど)。
だから初めから卒業を目指して頑張るつもりはなかったのかもしれません。
なのはなを私にとっての学校にしたくありませんでした。
卒業を目標にしてしまうと「卒業」という名誉を求めてしまいそうな怖さがありました。そういうことが私の価値観なのであれば、それを否定したくてたまらなくなりました。
お父さんお母さんと話をして、肩の力が抜けていくのを感じました。私はここを本当の家にしていいんだと思いました。
なのはなファミリーは私にとってただの摂食障害を治す施設ではありません。
家です。ずっと求めていた私の本当の家です。
お父さんお母さんがいて、たくさんの家族に囲まれた安心できる私の家です。
まだまだ赤ん坊だと思ったら、とっても楽です。
焦っても仕方がないし、競争する相手を持つこともないし、しっかりする必要もありません。 赤ん坊と言われて本気で喜んでしまう私もどうかと思うけれど、でも、お父さんお母さんがそれでいいと言ったらいいんです。
多少自分勝手になってしまっても、力が抜けすぎてしまっても。
今はバランス悪くても仕方ないと思います。
バランスの悪さも自分の幅を広げてくれるかも知れないと思うと、未熟なほど楽しみなことがたくさんあるようにと思います。
最近なんだか面白いです。ついこの間まで焦っていたかと思えば、今は落ち着いてしまいました。
楽しもうと意気込まなくても楽しいことは楽しいし、つまらないことはつまらないです。みんなの表情や動き、話す一言一言を落ち着いて見たり聞いたりしています。
やりたいと思ったことをやっています。
父の日のプロモーションビデオの撮影をさせてもらいました。チーターチームのみんなとの撮影はとても楽しかったです。
私は始めの話し合いから参加していませんでした。だから撮影だけ行っても、何も出来ないと思っていました。実際何もできませんでした。
でも撮影の準備の段階で、
「お父さんに俳優気分を味わってもらおう、お父さんに楽しんでもらおう」
とチームのみんなの気持ちがひとつになっていました。私はその気持ちに背中を押されるようにみんなの中に入ることができました。それに、お父さんが楽しそうに走っている姿をみて嬉しくて本当に楽しくなってしまいました。
もろちゃんが、
「父の日の撮影のためにこんなに楽しそうに走ってくれるお父さんって世界中どこ探してもいないよね」
と言ったのを聞いて嬉しくなりました。
お父さんに楽しんでもらえて、私たちも楽しい気持ちをたくさんもらえたのは、やっぱり本質がぶれてなかったからだと思います。
お父さんにいつもありがとうの気持ちを込めて、お父さんの楽しそうな姿をイメージして段取りが出来たことが成功に繋がったのだと思います。
ここでは私にとって、みんながお兄さんお姉さんです。
たくさん可愛がってもらおうと思います。甘えるところは甘えてしまおうと思います。たくさん迷惑もかけてしまおうと思います。疲れたら休みながらいこうと思います。
しばらく受け身でいようと思います。でも心はいつもプレーヤーでいます。よく見て聞いて感じて、たくさん吸収していきたいです。
畑もしばらく見る側でいようと思います。
あれもこれもやりたいことが次々でてきてしまい、
(どうして誰も気付かないの?自分からやらないの?)
と人を責めながら1人焦っても作業しても楽しくないので、みんなの後について行きながら、本当の楽しさや面白さをを発見していきたいです。
人を責めず、人に求めず、自分から楽しみながら動けるようになりたいです。
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